【哲学の誕生】神話から哲学が生まれた理由とは?
pcdazero / Pixabay
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みっつん
哲学って難しそうだなあ

クセの強い
ヒゲ
我はなぜヒゲであるのか?

シンプルな
ヒゲ
哲学を学べば答えが見つかるかもよ!

φιλοσοφίαphilosophia、フィロソフィア)という語は、愛智という意味です。philein(愛する)と sophia(知恵、知、智)が結び合わさったものなので、元来「philosophia」には「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められています。

 

また、日本の「哲学」という訳語は明治時代に西周が用いて一般的に用いられるようになったものです。

philosopia」というのは単に「愛知の学」という意味であって、「経済学」や「生物学」と違って、それだけではまだ何を研究する学問であるかは示されてはいません。

つまり、哲学には一定の方法があるわけではなく、哲学とはまさにその字義のとおり「知を愛する学」とでもいうほかに仕方ないような特徴を備えているのです。

この記事の目次

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なぜ哲学は生まれたのか

そもそも人は生まれながらにして真実を知りたいという根源的な欲求を持っています。

「真実を知ろうとする精神的な欲求」

この要求に「最初」に応えたのが、神話という物語だったわけです。

 

神話は、物事を神々の意志と力によって生じると考え、そうした考え方に基づいて世界のあり方や人間の生き方を全体的・統一的に捉えようとしたというものです。

例えば今だったら、宇宙とか地球とか自然とか、もしくは僕たち人間というのは、神の意志もしくは神の考え方、またはによって、ありとあらゆる力が生じているんだというように、考えていたわけです。

 

その神と言う例えもしくは偶像のような登場人物が出てくることによって、「人間というのは何なのか」そして「人間というのはどのように生きるべきか」を考え始めたということになるわけです。

神話の中でも有名なギリシャ神話というものがありますがそれは、ゼウスを最高神とする神々の働きと結びつきで世界のあり方や人間の生き方が説明されたと言うことです。

クセの強い
ヒゲ
ちなみにゼウスはひどい女たらしだったらしいヒゲよ

シンプルな
ヒゲ
何十人と、いろんな神や人間との間に子供を作っていたみたいだね!

みっつん
全知全能はやっぱモテるのかなあ(笑)

不死である神々との対比の中で

神という人間以外の存在が出てくることで、比べられた人間というのは死すべきもので有限である、すなわち神は完璧完全なる存在であり、

その神と対比することで人間が傲慢に陥ることなく、人間としての分をわきまえた生き方が説明されたというわけです。

人間は神に比べて不完全であるから傲慢になるなと言うことです。

 

それを戒めるというカタチで人間としての生き方を問われたということです。

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神話的世界観


神話的世界観すなわち、物事が神々の働きによってもたらされるという考え方が人々を支配していました。

神の物語、神話が人々を支配していた

それが1番最初だったわけです。

 

真実を知りたいという精神的欲求、それに最初に答えようとしたのがこの神話だったのです。

 

そんな中、、、

 

新たな考え方をする人々が現れました。

紀元前6世紀(日本だと縄文時代、弥生時代が始まる前、稲作が始まる前)に、人々が「哲学」というものを始めるようになりました。

 

哲学というのは

「人間とは何か?」
「人間はどのように生きるべきか?」

と言うのを自らに問い、答えを求めることと言えます。

みっつん
真実を知りたいということで考え続けるその「過程・プロセス」のことを、「哲学」といっているんだな!

初期の哲学者たち

一番最初に出てきた哲学者たちというのは、自然を考察した自然哲学でした。

神話的世界観を排して、自然の世界は神々の恣意的な働きに左右されるものではなく、

自然それ自体で確固とした秩序をそなえた存在であり、また、存在、秩序は人間の観察と思考によってとらえられると考えました。

 

要するに神々が自然なり人間を支配しているという考え方を捨てて、自然そのものが完璧に動いている、自然の中に完璧な秩序があるということです。

 

当時はそこまでわかっていなかったかもしれませんが、今だったら例えば一日24時間で地球が自転するということです。

みっつん
これはかなり完璧に近いなあ

毎日毎日24時間、まあ正確には24時間きっかりじゃなくて、4年に1回閏年で、366日にするということをしますが、でも逆に言ったら誤差がそれくらいで、基本的に一日24時間で自転しているんです。

シンプルなヒゲ
もしくは1年は365日で、地球は太陽の周りを公転するとかだね!

それくらい自然というのは、僕たちで言えば精密な機械時計のように秩序をもっていて、その自然の完璧な秩序っていうのは、人間が観察すること、思考することによって捉えることができるというのが、一番最初の哲学であり、自然哲学だったということです。

合理的世界観

人間は感情的な生き物と言うよりは、理性的存在です。

言い換えれば、右脳的な存在というよりは、左脳的な存在であるというものが前提であります。

そして自然秩序の根拠は、自然そのもののうちに、人間の理性そのものの働きによって把握されうると考えました。

 

自然そのものは完璧であり、しっかりとした秩序を持っています。

そこに対して、感情的ではなく理性的な存在である人間が、その完璧な秩序というのを理解できるというのが考え方の前提にあるということです。

完全を。

完全というのをという存在に観るか、それとも、自然そのものに対して観るか。

というのが、神話と哲学の最初の分かれ目だったわけです。

 

最初は神話、神は完全完璧な存在であり、神が何か考え方を持っているから、今世界はこうなっているとか人っていうのはこういう風になっていると最初見ていたわけですが、

それは排除して、神というのが人間を支配しているのではなく、自然そのものが完全な秩序をもっているから、世界は今こうなっていて人はこういう風に生きるべきだと変わっていった、そうして哲学というのが生まれてきたわけです。

「なぜ、哲学が生まれたのか?」

神が人々を支配しているとする考え方を排除して、人間が理性により、

「人間とは何か?」
「ヒトはどのように生きるべきか?」

ということを考え始めた。だから哲学というのが生まれたのです。

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