ヒゲ
ヒゲ
自然哲学とは?
自然哲学とは、一番最初の哲学と言われていて、自然を考察した哲学です。
自然哲学...
神話的世界観を排して、自然の 世界は神々の恣意的な働きに左右されるものではなく、それ自体で確固とした秩序をそなえた存在であり、また、その秩序は人間の観察と思考によってとらえられると考えた。
そこで、5人の自然哲学者が現れました。
ここでは、その5人の自然哲学者たちが、神に代わる万物の根源(アルケー)は何だと考えたのか?というのを解説していきます。
この記事の目次
5人の自然哲学者の出現
ヒゲ
ヒゲ
1. タレス(Θαλής)
タレスは最初の哲学者と言われています。
タレスは水を万物の根源だと考え、水によって世界の成り立ちと現象を説明しようとしました。
僕たちは今21世紀に生きていて、万物の根源はエネルギーだということを知っているわけですが、当然2千何百年前のギリシャ哲学者たちは、エネルギーがありとあらゆるものを構成しているとは知らなかったので、自然を徹底的に観察した結果、水というのが万物の根源なんだと考えたのが、最初の哲学者タレスだったわけです。
ヒゲ
2. ピタゴラス(Πυθαγόρας)
ピタゴラスは、世界の秩序の根拠を数に求め、世界には数学に基づく調和があると考えました。
人間が言葉と数という2つを、道具として生み出したわけですが、言葉よりもより多くのことを表すことができる数が、万物の根源であると考えたわけです。
ピタゴラスという人は今でも有名で、子供たち向けの番組でピタゴラスイッチだとか、中学校3年生では、ピタゴラスの定理(直角三角形の三平方の定理)という形で、今でも名前が残っている有名な人物です。
ヒゲ
3. ヘラクレイトス(Ἡράκλειτος)
ヘラクレイトスは万物の根源を火であるとし、世界の秩序を動的にとらえました。
常に世界が動き続ける、そのまさに火の動きのようなものの中に、万物の原理を見ようとしたわけです。
ヒゲ
4. エンペドクレス(Empedocles)
エンペドクレスは、万物の根源を、火・空気・水・土の四元だと考えました。
この四元から世界が成り立っているということは、僕たち人間も、この火・空気・水・土から成り立っているという風に考えたわけです。
ヒゲ
5. デモクリトス(Δημόκριτος)
デモクリトスは、現代の僕たちから見ると最も真理に迫った人物だと言えます。
デモクリトスは原子論を唱え、無数の原子(分割不可能な微小な物体)の集合と離散によって世界のあらゆる事物・事象を説明しようとしました。
つまり、「原子」というところまでギリシャ哲学ではいっていたということになります。
モノを分割して分割して分割して...と、とにかくモノを分割し続けた結果、それ以上分割することが不可能というくらい小さな物体を、「原子」という風に名前をつけて、その原子が、集まったり離れたりすることで世界というのはいろんな出来事が起きているんだということです。
だからもうかなりの部分まできていたということですねえ。
実際僕たちの場合は、その原子というのは、原子核と電子からなっていて、原子核の中には陽子と中性子があって、その陽子や中性子というのはクォークなどの素粒子からできていて、最後はエネルギーの振動状態であるというところまで、わかっているわけです。
紀元前何百年前に原子というところまで突き詰めていたというのは正直驚きですね。
ヒゲ
唯物論と唯心論
そして人間の心の動きも一定の原子の運動に還元して説明する唯物論でとらえていました。
唯物と唯心と2つありますが、唯物というのは、全てが物ということで、その物の働きから世界のありとあらゆる出来事を説明するというものです。(仏教に唯識論というのがありますが、長くなるのでここでは割愛します)
モノを分割していった結果、それ以上分割できないモノを原子というふうにいったわけです。
唯物論の対極が唯心論ですが、唯心というのは、モノではなくて心というのはモノとは別のものであるという考え方です。
今の現代科学で言えば、エネルギーという形でとらえたわけです。
そこでアインシュタインが出てきたことによって、モノとエネルギーというのが一体であり、別々のものではなくてモノはエネルギーに変換されるし、エネルギーは物体化していくと説明しました。
つまりアインシュタインの登場で、モノとエネルギーがイコールで結ばれたということですが、逆に言えばその前まではモノとエネルギーというのは全くの別物という風に分けられていて、全てはモノである、モノの置き換えであると考えられていたわけです。
自然哲学者たちの主張
今の僕たちから見れば素朴で、万物は火で出来ているとか、万物は全て水が元になっているとか、万物は全て原子が元になっているという風にすごくシンプルです。
しかし、自然全体を秩序であるととらえる、その考え方そのものは、人間が自分自身の知に信頼をおきながら世界を認識していく際に基礎となるものでした。
やはり完全完璧なるものがあると、そしてその真理は何なのかというのを自分の知識でとらえていこうとしたのです。
かつて昔、一番最初は神という存在を定義していたわけです。神が何か意図があっていろんな出来事とか事物事象を起こしていると。
しかし神を否定して、今度はその自然そのもののなかに完璧な秩序・ルールを見出して、それを何とか人間が頭で捉える。
もし頭で捉えることができるのであれば、人間もより完全完璧を目指せるし、人間が本能的に持っている物事の真理を知りたいという知的欲求を満たすこともできるということで、自然を完璧に見たことが、自然哲学の特徴だったと言えます。