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古代ギリシャでは、完全な秩序というものが最初は神、そして神から自然へと見るようになり、そしてさらに人間・人間社会へと関心を深めていった中で、新たな意味を与えたのが、ソクラテスでした。
古代ギリシャの哲学の変遷は、以下の記事をみていただけると分かりやすく、ソクラテスの理解も深まるかと思います。また、この記事中で出てくる重要単語「ソフィスト」の解説もしてます。
この記事の目次
ソクラテス!
ソクラテス(Σωκράτης)ってどんな人?
石工を父に、助産婦を母として、アテネに生まれました。
従軍して3度国外に出されたほかはアテネを離れることがほとんどありませんでした。
若い頃は自然哲学にも関心を持っていましたが、やがてもっぱら人間の生き方を問題にするようになりました。
そして街頭などで対話を行い続けました。
ソクラテス自身は何も書き遺さず、思想や生き方は、弟子のプラトンの著書(ソクラテスの弁明)などで知られました。
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ソフィストとの違い
職業的教師ソフィストとの最大の違いは、真実と思われることではなく、真実そのものを追求し、人間の生き方についての普遍的な真理があると考えて追及した点です。
ソフィスト達よると、人によって真理は違うし、時代や民族によっても真理は変わるというのが考え方だったので、自分たちが正しいと思うことを相手に説得し、弁論する知識や技術を磨いていったわけですが、ソクラテスの場合は、時代や民族を超えて、ありとあらゆる人に通用する普遍的な真理が存在すると考えて、それは何だろうと追及していったところが、最大の違いと言えます。
神託
ソクラテスの友人が、アポロン神殿で「ソクラテスに優る知者はいない」と神託を得た。という逸話があります。
しかし、ソクラテスは自分のことを知者ではないと思っていたため、その神託は彼にとっては謎のものでした。
そしてソクラテスは神託の意味を知るために、名高いソフィスト達を訪ねます。
すると、ソクラテスは、ソフィスト達は知者ではないのに知者だと思い込んでいるということに気づきました。
この時代は、弁論がすごく大事で、人に対して雄弁にいろいろなことを語るというのがすごく重要視されていたので、みんな知らないということは言わないわけです。
ですが、ソクラテスがずーっとソフィスト達を訪ねて話を聞いて周るうちに、ソフィストたちは本当に真理を知っているはずではないのに、知っていると思い込んでいるということが分かったわけです。
そこでソクラテスは悟りました。
神託の本当の意味は、人間の中で最大の知とは、ソクラテス自身のように、自分が無知だと自覚している者だということです。
自分は少なくとも真理を知らない者だということを知っている。だから自分は知者なのだと。
無知の知
真・善・美
哲学は、真・善・美の追求であると言われたりもします。
人間が生きるうえで真・善・美のような本質的な重要な事柄について人間は無知である。
無知を自覚するが故に、あくまで知を求める。
これが人間にとっての知の原点として積極的な姿勢です。
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ソクラテス式問答法とは?
哲学者というのは、たえず無知を自覚しながら、人間としての生き方を探求する者です。
ソクラテスは使命として、人々に無知を自覚させるために、その方法として「問答法」を用いました。
その方法は、
1. 相手に、知っていると思っていることを述べてもらう。
2. 問答(エレンコス, ἔλεγχος)をする。
3. もとの考えが誤っていることに気づかせ、自分から真の知へと導く。
相手は真理を分かっていないので、繰り返し質問をすれば、いずれボロが出る、という感じで、自分が本当はよく分かっていないのに分かっているつもりで雄弁に語っていたということを悟らせることが、この問答法ということです。
「教育」の「教」と「育」でいうと、問答法は「育」に当たります。
「教」とは、答えを知っている者が、知らない者に教えてあげることです。
「育」というのは、相手自身に気づいてもらうというやり方です。
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まとめ
問答法とは、産婆術(助産術)とも呼ばれています。
相手が知を生み出すのを、自分は手助けをするのに留まるという立ち位置だからです。
そうしてソクラテスは、生涯を通じて、あくなき知を探求していきました。
ソクラテスが知の探求の末辿り着いた境地とはいったいどこだったのか?
ソクラテス【後編】で書いております↓