中世ヨーロッパの騎士団まとめ|三大修道騎士団の歴史・目的・現在まで

中世ヨーロッパの歴史を動かした影の主役の一つが「騎士団」です。十字軍時代の聖地を守るために生まれた修道騎士団、イベリア半島でイスラム勢力と戦ったレコンキスタの騎士団、そして国王が創設した栄誉の騎士団——その姿はさまざまです。テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団・ドイツ騎士団の三大修道騎士団を核に、主要14の騎士団の歴史・設立目的・解散経緯、そして現代まで続く騎士団の今をまとめて解説します。

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騎士団の2つのカテゴリ——修道騎士団と世俗騎士団

中世ヨーロッパの騎士団は大きく「修道騎士団(騎士修道会)」と「世俗騎士団(栄誉騎士団)」に分かれます。

修道騎士団(騎士修道会) は、修道士としての誓い(清貧・貞潔・従順)と武装した騎士という二面性を持つ組織です。十字軍時代の聖地エルサレムで、巡礼者の保護や医療支援を目的として生まれました。テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団・ドイツ騎士団の「三大修道騎士団」が最も知られています。

世俗騎士団(栄誉騎士団) は、国王や大公が政治的・外交的な目的で創設した名誉ある騎士の集団です。宗教的義務より君主への忠誠と騎士道精神を重んじます。ガーター騎士団(英国)・金羊毛騎士団(ブルゴーニュ/スペイン)がその代表格です。

三大修道騎士団——十字軍が生んだ戦士修道士

1. テンプル騎士団(1119年〜1312年)

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創設年 1119年
創設者 ユーグ・ド・パイヤン(フランスの騎士)
正式承認 1128年(トロワ公会議・教皇ホノリウス2世)
本拠地 エルサレム神殿(ソロモン神殿跡)→キプロス島
解散 1312年(ヴィエンヌ公会議)

テンプル騎士団は、1099年の第1回十字軍でエルサレムが占領された後、聖地への巡礼者を守るために1119年に設立されました。本拠地をエルサレム神殿(ラテン語:テンプルム・ドミニ)に置いたことが名前の由来です。

組織の成長とともに、騎士団は銀行業のような金融機能も担うようになりました。出発地で巡礼者が預けた金品を証書として発行し、聖地で換金するという仕組みは現代の旅行小切手の原型とも言われます。ヨーロッパ中に拠点(コマンドリー)を展開し、莫大な財産を蓄えました。

しかし1291年にアッコン(十字軍最後の拠点)が陥落すると存在意義を失います。財産を狙ったフランス王フィリップ4世は騎士団員を大量逮捕。拷問による自白を証拠に異端裁判を強行し、1312年のヴィエンヌ公会議でテンプル騎士団は解散させられました。最後の総長ジャック・ド・モレーは1314年に火刑に処され、処刑直前に「フランス王とローマ教皇は1年以内に神の審判を受けるだろう」と呪いをかけたと伝わります。その年のうちに教皇クレメンス5世とフィリップ4世の両者が死亡したことで、この伝説はヨーロッパ中に広まりました。

テンプル騎士団の財宝は解散後も発見されておらず、「失われた財宝」として現在も多くのフィクション(ダ・ヴィンチ・コードなど)の題材になっています。ただしこれは俗説であり、財宝が存在した確実な史料はありません。

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2. 聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)(1113年〜現存)

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項目 詳細
創設年 1099年頃(病院として)/ 1113年(教皇認可)
正式名称 エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会
本拠地の変遷 エルサレム→アッコン→ロードス島→マルタ島→ローマ(現在)
現状 現存・国際的人道支援活動を継続

三大修道騎士団の中で唯一現在も存続しているのが聖ヨハネ騎士団です。起源は第1回十字軍(1099年)以前にさかのぼり、エルサレムで巡礼者の医療を担っていた聖ヨハネ洗礼者病院が前身です。1113年に教皇パスカリス2世から修道会として正式に認可されました。

聖ヨハネ騎士団の最大の特徴は「戦士」であると同時に「医療者」であることです。「病院騎士団」とも呼ばれ、戦場での負傷者救護と病院運営を精力的に続けました。

1310年にロードス島に移転してからは「ロードス騎士団」とも呼ばれ、1522年にオスマン帝国のスレイマン1世に敗れてロードス島を退去。1530年にスペイン王カルロス1世からマルタ島を授与され「マルタ騎士団」の名で知られるようになりました。1798年にナポレオンにマルタ島を占領されましたが組織は解散せず、現在はローマに本部を置きます。独自のパスポートと100か国以上との外交関係を持つ主権実体として、世界中で医療・人道支援活動を展開しています。

3. ドイツ騎士団(チュートン騎士団)(1190年〜現存)

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創設年 1190年(非公式)/ 1198年(教皇認可)
正式名称 ドイツ人の聖マリア病院修道会
本拠地の変遷 アッコン→マリエンブルク→ウィーン(現在)
現状 現存(ウィーンに本部を置くカトリック修道会)

ドイツ騎士団は、第3回十字軍(1189〜1192年)中のアッコン包囲戦において、ドイツ人の負傷兵を看護するために設立されました。1198年に教皇インノケンティウス3世から騎士修道会として正式に認可されています。

13世紀に聖地での活動が困難になると、バルト海沿岸のキリスト教化に活動の場を移します。ポーランド公コンラート1世の招きでプロイセン地方の征服に乗り出し、約50年かけて騎士団国家を築き上げました。しかし1410年のグルンワルトの戦い(タンネンベルクの戦いとも)でポーランド・リトアニア連合軍に大敗し、影響力を急速に失います。

1525年、総長アルブレヒト・フォン・ホーエンツォレルンがルター派に改宗し、騎士団領をプロイセン公国に転換しました。このプロイセン公国が後のプロイセン王国、さらには19世紀のドイツ帝国へとつながります。騎士団本体はウィーンに移り、現在もカトリック修道会として活動を続けています。

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レコンキスタの戦士たち——イベリア半島の騎士団

イベリア半島(現スペイン・ポルトガル)は、8世紀にイスラム勢力(ムーア人)に征服されて以来、キリスト教王国との間で700年以上の戦争「レコンキスタ(国土回復運動)」が続きました。この特殊な環境が、聖地ではなく自国防衛を使命とする独自の騎士団を数多く生み出しました。

4. サンティアゴ騎士団(1160年頃〜現存)

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創設年 1160年頃
創設地 カスティーリャ王国(スペイン)
守護聖人 聖ヤコブ(スペイン語名:サンティアゴ)
教皇認可 1175年(アレクサンデル3世)
現状 現存(スペイン国王が首長)

サンティアゴ(聖ヤコブ)は、レコンキスタでキリスト教徒が戦う際の守護聖人でした。サンティアゴ騎士団はムーア人との戦闘と、スペイン北西部の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の保護を目的に設立されました。修道騎士団でありながら成員が結婚を許されるという、当時としては珍しい規則を持っていたことでも知られます。

5. カラトラバ騎士団(1158年〜現存)

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項目 詳細
創設年 1158年
創設地 カスティーリャ王国(スペイン)
きっかけ テンプル騎士団が放棄したカラトラバ城の防衛
教皇認可 1164年(アレクサンデル3世)
現状 現存(スペイン国王が首長)

1158年、テンプル騎士団がムーア人の圧力に耐えられずカラトラバ城を手放そうとした際、シトー会のライムント修道院長がカスティーリャ王から防衛権を受け取り、騎士団を組織したことが起源です。シトー会の戒律を基礎にした点が特徴で、スペイン最古の軍事騎士団の一つとされます。

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6. アルカンタラ騎士団(1156年頃〜現存)

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創設年 1156年頃(当初名:サン・フリアン・デ・ペレロ騎士団)
拠点 スペイン西部・ポルトガル国境付近
現状 現存(スペイン国王が首長)

アルカンタラ騎士団はレオン王国で設立された修道騎士団で、後にカラトラバ騎士団と同盟を結びつつポルトガル・スペイン国境付近でムーア人との戦闘を担いました。アルカンタラという地名はアラビア語で「橋」を意味する「アル・カンタラ」に由来します。

7. キリスト騎士団(1319年〜現存)——テンプル騎士団の後継

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項目 詳細
創設年 1319年
創設地 ポルトガル
前身 テンプル騎士団(ポルトガル支部)
教皇認可 1319年(教皇ヨハネス22世)
現状 現存(ポルトガル国家騎士団)

1312年にテンプル騎士団が解散させられた後、ポルトガル王ディニス1世は国内のテンプル騎士団員と財産を守るため、新たにキリスト騎士団(ポルトガル語:Ordem de Cristo)を設立しました。ポルトガル独自の騎士団として発展したこの組織は、15〜16世紀の大航海時代に重要な役割を果たします。エンリケ航海王子はキリスト騎士団の総長を務め、騎士団の資金が探検航海を支えました。ポルトガルの帆船の帆に描かれた赤十字は、このキリスト騎士団のシンボルです。

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王侯が創設した世俗的騎士団

8. ガーター騎士団(1348年〜現存)

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創設年 1348年
創設者 イングランド王エドワード3世
守護聖人 聖ジョージ
モットー "Honi soit qui mal y pense"(これを恥じる者に禍いあれ)
現状 現存(英国王が首長・英国最高位の騎士位)

ガーター騎士団は英国最高位の勲章・騎士位として現在も続く権威ある組織です。

創設には有名な逸話があります。エドワード3世のダンスの席で、同席していた貴婦人(ソールズベリー伯爵夫人との説が有力)のガーター(靴下留め)が落ちたとき、周囲の嘲笑を制して国王自ら拾い上げ、「これを恥じる者に禍いあれ」と言い放ったとされます。この言葉が騎士団のモットーになりました。

現在の英国王(チャールズ3世)を首長とし、皇太子と24名の「騎士仲間(Companions)」で構成されます(外国君主は別枠のスーパーニュメラリーとして叙任)。日本の天皇もその対象で、明仁上皇は1998年の訪英の際に叙任されています。

9. 金羊毛騎士団(1430年〜現存)

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項目 詳細
創設年 1430年1月10日
創設者 ブルゴーニュ公フィリップ善良公
シンボル 黄金の羊毛(ギリシャ神話のアルゴー船伝説に由来)
現状 現存(スペイン王統・オーストリア大公統の2系統)

金羊毛騎士団は1430年、ブルゴーニュ公フィリップ善良公がポルトガル王女イザベルとの婚礼を祝って創設しました。名前はギリシャ神話のアルゴノーツ(イアソンと黄金の羊毛を求めた英雄たち)の冒険にちなみます。ハプスブルク家がブルゴーニュを相続したことでスペイン・オーストリアに伝わり、現在は「スペイン王が首長の系統」と「オーストリア大公が首長の系統」に分かれて存続しています。ヨーロッパ最高位の勲章の一つとして今なお権威を持ちます。

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その他の主要な中世騎士団(一覧)

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騎士団名 設立年頃 発祥地 主な目的・特徴
聖ラザロ騎士団 1048年頃 エルサレム ハンセン病(らい病)患者の看護を起源とする。後に軍事活動も担い、現在も国際慈善騎士団として存続
聖墳墓騎士団 1099年頃 エルサレム キリストの墓(聖墳墓教会)の守護が目的。現在もカトリック教会の公認騎士団として存続
帯剣騎士団(剣の兄弟騎士団) 1202年 バルト海沿岸 リヴォニア地方(現エストニア・ラトビア)のキリスト教化を目的に設立。1237年にドイツ騎士団に吸収合併
アビス騎士団 1148年頃 ポルトガル ポルトガルのレコンキスタを担った修道騎士団。現在もポルトガル国家騎士団として存続
モンテサ騎士団 1317年 アラゴン王国(スペイン) テンプル騎士団解散後のアラゴン版後継騎士団。バレンシア地方の防衛を担った

現代も生き続ける騎士団——なぜ今も存在するのか

多くの修道騎士団は中世の動乱の中で解散しましたが、マルタ騎士団・ドイツ騎士団・ガーター騎士団・金羊毛騎士団などは形を変えながら現在も続いています。その理由は主に3つです。

宗教的使命から人道支援への転換 です。マルタ騎士団は現在、世界120か国以上で医療・人道支援活動を展開しています。難民支援・災害救援・医療援助など、騎士団の「医療者と戦士の二面性」のうち「医療者」の精神が現代に生き続けています。

国家の権威を高める象徴的機能 も重要です。ガーター騎士団・金羊毛騎士団は歴史的な栄誉の継承として機能し、叙任は各国で最高位の名誉とされます。外交的な儀礼としても活用されています。

歴史的・文化的遺産としての価値 も見逃せません。騎士団の建築(マルタ島の城塞・プロイセンのマリエンブルク城)は世界遺産にも登録され、騎士団が遺した記録・儀式・建造物は歴史研究の重要な遺産となっています。

中世ヨーロッパの騎士団は、宗教・軍事・金融・医療・政治が複雑に絡み合った組織でした。テンプル騎士団のように劇的な最期を遂げたものもあれば、マルタ騎士団のように約900年以上も形を変えながら生き続けているものもあります。現代まで続く騎士団の存在は、中世ヨーロッパが今日の世界にどれほど深く根を張っているかを静かに物語っています。興味を持った方は、中世ヨーロッパの職業一覧武器の種類一覧もあわせてどうぞ。

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