
あなたは今まで「1秒」を何回数えたでしょう。でも「その1秒、どうやって決まっているか」を答えられる人は、意外と少ないはずです。
地球の自転が遅くなり、「1秒」の基準が変わった時代。9,192,631,770という奇妙な数字を刻むセシウム原子時計が世界の時を支える現代。そして今、日本発の技術が「1秒」をふたたび塗り替えようとしています。
「1秒」の定義は、人類の知識の進歩そのものです。その歴史をたどると、時間の本質に迫る科学の物語が見えてきます。
「1秒」の起源——地球の自転から始まった
古代の時間感覚:太陽と影が時計だった
人類が最初に使った「時計」は空の太陽でした。古代エジプトでは日時計(gnomon)を使い、影の位置で時刻を読みました。夜は水時計(クレプシドラ)が時間を刻みました。
しかし、当時の「時間の単位」は今とは異なっていました。1日を昼と夜に分け、各12等分した「等分不等時法」が長く使われていたため、夏の「1時間」は長く、冬は短かったのです。
「1秒」という単位が生まれたのは、中世ヨーロッパでのことでした。1時間を60分に、1分をさらに60秒に分ける「六十進法」は、古代バビロニアの数学に由来します。つまり、1秒 = 1日の86,400分の1という計算から生まれました。
1656年——振り子時計が「正確な1秒」を作った
「1秒」を刻む機械として歴史に残るのが、1656年にオランダの科学者クリスティアーン・ホイヘンスが発明した振り子時計です。
振り子の等時性(長さが同じなら振動周期も同じ)を利用し、当時の精度は1日あたり約10秒の誤差。それまでの機械式時計(1日数分の誤差)と比べて革命的な精度でした。
この振り子時計の普及によって「1秒」の概念は日常生活に浸透しましたが、基準となる「正確な1秒」は地球の自転速度に依存したままでした。
地球の自転という「時計」の限界
20世紀に入ると、科学者たちは重大な事実に気づきます。地球の自転速度が一定ではないのです。
地球は月の引力による潮汐摩擦で少しずつ自転が遅くなっており、1億年前は1日が22時間程度でした。さらに大地震や季節変化、海流の影響でも年単位で変動します。
「地球自転の86,400分の1」という定義では、精密な科学計算に耐えられない。これが次の改革を促しました。
1956年の改定——「地球の公転」を基準に
自転の不安定さへの解決策として採用されたのが、地球の公転を基準にする方法です。
1956年の国際度量衡委員会(CIPM)は、次のように秒を再定義しました。
1秒 = 1900年1月0日の正午から数えた太陽年の1/31,556,925.9747
つまり「1900年の地球が太陽の周りを1周する時間の約3155万分の1」が1秒です。
「暦表時(Ephemeris Time)」と呼ばれるこの定義は、理論的には安定していましたが、実用面で大きな問題がありました。過去の特定の瞬間を基準にしているため、実際に測定・検証できないのです。秒の精度を確かめるには、天体観測の記録をさかのぼるしかなく、現代の技術には到底使えませんでした。
1967年の革命——セシウム原子時計が「1秒」を定義した
原子の振動という「永遠の時計」
物理学者たちは、地球という「不規則な時計」に代わる、普遍的な基準を求めていました。答えは原子の中にありました。
原子内の電子が特定のエネルギー準位間を遷移するとき、決まった周波数の電磁波を吸収・放出します。この周波数は原子の種類によって決まり、地球上のどこでも、何億年後でも変わりません。
1967年の第13回国際度量衡総会(CGPM)で、次の定義が採択されました。
1秒 = セシウム133原子の基底状態にある2つの超微細構造準位間の遷移に対応する放射の9,192,631,770周期の継続時間
なぜ「9,192,631,770」という奇妙な数字なのか
この数字は任意ではありません。新定義をできるだけ以前の秒の長さに合わせるため、セシウム原子の振動を実測して「旧来の1秒とほぼ一致する振動回数」を採用したのです。
セシウム133の超微細構造遷移周波数は、測定すると自然に9,192,631,770 Hzになります。この数字が「セシウムの性質から決まる物理定数」であることが重要で、人類が勝手に決めた数字ではありません。
セシウム133が選ばれた理由
多くの原子の中から、なぜセシウム133だったのでしょうか。
① 唯一の安定同位体
セシウムには多くの同位体がありますが、自然に安定して存在するのはセシウム133だけです。不純物がないため、「世界共通の基準」として使えます。
② マイクロ波帯の扱いやすい周波数
遷移周波数(約9.2 GHz)はマイクロ波帯に収まり、1960年代の技術で精密に測定・制御できました。可視光帯の原子は周波数が高すぎて、当時は正確に測れなかったのです。
③ 常温・固体で扱いやすい
セシウムは常温で固体(融点28.5℃)のため、加熱・蒸発させると安定したセシウム蒸気が得られます。実験室での扱いが比較的容易でした。
セシウム原子時計の仕組み(ラムゼー共鳴法)
現代のセシウム原子時計は「原子泉型」と呼ばれる仕組みを使います。
- セシウム原子を加熱・蒸発させ、レーザーで冷却して低速にする
- 原子を上向きに「噴水」のように打ち上げる
- 原子が上昇・下降する間にマイクロ波(約9.2 GHz)を2回照射する
- マイクロ波の周波数を微調整し、励起される原子数が最大になる周波数を探す
- その最大点が9,192,631,770 Hzであり、これが「1秒」の基準
この「ラムゼー共鳴法」(ノーマン・ラムゼーが開発、1989年ノーベル賞)により、周波数の誤差を極限まで小さくできます。
現代の最高精度のセシウム原子時計(日本のNICTが運用するNICT-CsF2など)は、3,000万年に1秒のズレという驚異的な精度を実現しています。
「うるう秒」はなぜ必要だったのか
原子時計が生まれると、地球の自転との「ずれ」が問題になりました。
地球は自転が遅くなっているため、原子時計が刻む「正確な時間」と、地球の自転に基づく「天文学的な時間(世界時:UT1)」が少しずつずれていきます。このズレを調整するために、1972年から「うるう秒」が導入されました。
「23:59:60」という瞬間を年1〜2回挿入して、原子時計と天文時刻を1秒以内に保つのです。
しかし、インターネット・GPS・金融システムが高度化した現代では、うるう秒の挿入がシステム障害の原因になることが増えました。2022年のCGPM(第27回)は、2035年までにうるう秒を廃止することを決定しています。
光格子時計の登場——次世代の「1秒」へ
セシウムの100倍以上の精度
セシウム原子時計の精度は驚異的ですが、科学の世界ではさらに上を目指しています。
2001年ごろから研究が進んだ「光格子時計」は、セシウムの100倍以上の精度を持ちます。
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| 比較 | セシウム原子時計 | 光格子時計(ストロンチウム) |
|---|---|---|
| 基準周波数 | 約9.2 GHz(マイクロ波) | 約429 THz(可視光) |
| 精度(相対不確かさ) | 10⁻¹⁵(3,000万年に1秒) | 10⁻¹⁸以下(100億年以上に1秒) |
| 基準となる原子 | セシウム133 | ストロンチウム88 |
なぜ可視光を使うと精度が上がるのでしょうか。時計の精度は「振動の回数を数える精密さ」に依存します。可視光の振動数はマイクロ波の約10万倍なので、同じ精度で数えれば、より細かく時間を刻めるのです。
「魔法波長」813nmの秘密
光格子時計の核心技術が「光格子」です。
特定の波長のレーザー2本を向かい合わせに当てると、干渉縞(じまがたのエネルギー分布)が格子状に並びます。ストロンチウム原子をこの「光の檻」に閉じ込めることで、熱的な動きを抑えて振動を精密に測れます。
しかしここに問題があります。レーザーの電場は原子のエネルギー準位をずらしてしまう(スターク効果)ため、時計の精度が落ちるはずです。
ここで登場するのが「魔法波長(magic wavelength)」という概念です。
ストロンチウムの場合、約813nmの波長のレーザーを使うと、基底状態と励起状態でエネルギーが同じだけずれるため、準位間の差が変わりません。レーザーのスターク効果が相殺されるのです。東京大学の香取秀俊教授(現・東京大学大学院教授兼理化学研究所量子計測ラボ主任研究員)がこの「魔法波長」を発見し、光格子時計を世界で初めて実現しました(2001年)。
日本が世界をリードする技術
光格子時計の開発で日本は世界トップレベルにあります。
NICT(情報通信研究機構) は2022年、世界で初めて「国家標準時の維持」に光格子時計を使うことに成功しました(相対不確かさ:1.9×10⁻¹⁶)。
島津製作所 は2025年、世界初の光格子時計の商用製品を発売しました。従来920リットルだった装置を250リットルに小型化し、重量200kgを実現。実験室の外でも使えるサイズになりました。
2030年、「1秒」が63年ぶりに変わる予定
2026年CGPM——秒の再定義候補を決定へ
1967年の定義から63年——2026年10月にフランス・ベルサイユで開催される第28回CGPM(国際度量衡総会)で、秒の新定義の候補が最終確定される予定です。
現在の候補として挙がっているのは:
- ストロンチウム光格子時計(固有周波数:約429,228,004,229,873 Hz)
- イッテルビウム171光格子時計
- 単一イオン光時計(アルミニウムイオン、水銀イオンなど)
これらの候補から1つ(あるいは複数の組み合わせ)が選ばれ、2030年の第29回CGPMで正式採択される見通しです。
新定義が社会に与えるインパクト
「1秒が少し変わるだけ」と思うかもしれませんが、超高精度な時計は私たちの生活に深く関わっています。
GPSの精度向上
GPSは4機以上の衛星の時刻差から位置を計算します。1ナノ秒(10億分の1秒)の誤差が約30cmの位置誤差に相当するため、時計の精度が直接ナビの精度を左右します。
金融市場のタイムスタンプ
高頻度取引(HFT)では、注文のタイムスタンプがマイクロ秒単位で重要です。より精密な時刻同期は市場の公平性を高めます。
重力測定・地殻変動の観測
アインシュタインの一般相対性理論により、重力が強い場所ほど時間が遅く流れます(重力の赤方偏移)。光格子時計の精度があれば、地下の密度変化や地殻変動を「時間のずれ」として検出できます。火山・地震の予測への応用も期待されています。
量子コンピュータとの連携
量子コンピュータの操作(量子ゲート)は、超精密なタイミング制御が必要です。光格子時計で生成した超高精度クロック信号は、量子コンピュータの誤りを減らす可能性があります。
「1秒」の定義の歴史まとめ
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| 時代 | 定義 | 精度 |
|---|---|---|
| 古代〜17世紀 | 地球自転の86,400分の1(太陽時) | 日単位の誤差 |
| 17〜20世紀初頭 | 振り子時計による天文時刻 | 1日10秒程度 |
| 1956年 | 1900年の地球公転周期の1/31,556,925.9747(暦表時) | 数マイクロ秒 |
| 1967年〜現在 | セシウム133の超微細遷移9,192,631,770周期(原子時) | 3,000万年に1秒 |
| 2030年(予定) | ストロンチウム等の光格子時計による光時計定義 | 100億年以上に1秒 |
まとめ
「1秒」はいつも同じ長さに見えて、人類はその定義を何度も作り直してきました。
地球の自転や公転という「宇宙の時計」から、セシウム原子という「量子の時計」へ。そして今、光格子時計が秒を定義する時代が2030年代に訪れようとしています。
9,192,631,770という数字は任意ではなく、セシウムという原子が宇宙の法則として持つ固有の周波数です。私たちが当たり前に使う「1秒」の中に、宇宙の精密な仕組みが刻まれているのです。
光格子時計が実用化されれば、GPSの精度向上・地殻変動の検出・量子コンピュータの制御など、生活や科学のさまざまな場面で恩恵が及ぶでしょう。「1秒」の進化は、まだ続いています。
参考・出典
- BIPM「Resolution 1 of the 13th CGPM (1967)」 https://www.bipm.org/en/committees/cg/cgpm/13-1967/resolution-1 (2026-10-03参照)
- BIPM「28th CGPM 2026 Versailles」 https://www.bipm.org/en/cgpm-2026 (2026-10-03参照)
- NICT「世界初、国家標準時の維持に光格子時計を利用」 https://www.nict.go.jp/press/2022/06/09-1.html (2026-10-03参照)
- 島津製作所「Aetherclock OC020(光格子時計)」 https://www.shimadzu.com/today/20260312-1.html (2026-10-03参照)