ジーンズの歴史|リーバイス501など名作モデルと誕生の物語

作業着として生まれたジーンズが、今や「世界でもっとも多く着られている衣服」のひとつとなるまでには、150年以上にわたる激動の歴史がありました。ゴールドラッシュのカリフォルニアで産声を上げ、大戦をくぐり抜け、反骨の若者文化を纏い、やがて日本でも独自の進化を遂げた——一本のジーンズに込められた物語を、誕生から現代まで辿ります。ジーンズ・デニムの種類についてはジーンズ・デニムの種類まとめもあわせてご覧ください。

スポンサーリンク

ゴールドラッシュが生んだ布地商

ジーンズの歴史は、1848年に始まります。この年、カリフォルニア州コロマのサッターズミルで金が発見され、アメリカ西部に空前のゴールドラッシュが到来しました。

翌年から何十万人もの移民が西部へ押し寄せる中、バイエルン(現ドイツ)出身のリーバイ・ストラウスも1853年にサンフランシスコへ渡りました。彼の目的は金採掘ではなく、布地商の兄の事業を引き継ぐことでした。採掘現場では布地の需要が高く、テント用のキャンバス地や丈夫な作業着が飛ぶように売れる時代でした。

一方、ネバダ州リノの仕立て屋ヤコブ・デイビスは、過酷な採掘現場で「すぐにポケットが破れる」という顧客の声に悩んでいました。彼はポケットの破れやすい角部分に馬具用の金属リベット(鋲)を打ち込むことを思いつき、驚くほど丈夫なズボンを作り上げます。このリベット入りパンツはたちまち評判を呼びました。

1873年5月20日——リベット特許が「作業着」を「ジーンズ」に変えた

アイデアに確信を持ったデイビスは特許取得を考えましたが、費用を一人で負担する余裕がありませんでした。そこで彼が声をかけたのが、生地の仕入れ先でもあったリーバイ・ストラウスです。

1873年5月20日、ストラウスとデイビスは「衣料品のポケット開口部を金属リベットで補強する方法」について共同で特許(特許番号139,121)を取得します。この日が、現代のジーンズの誕生日として語り継がれています。

使われた生地はデニム——フランスのニーム産の綾織り綿布「serge de Nîmes(セルジュ・ド・ニーム)」が語源とされ、頑丈さと伸縮性を兼ね備えていました。また「ジーンズ」という名称も、ジェノバ(Genova)産の綿布を「Gênes cloth(ジェーヌ・クロス)」と呼んだことに由来するとされています。

スポンサーリンク

「XX」から「501」へ——番号の誕生

特許取得後、ストラウスはサンフランシスコに工場を設け、「ウエスト・オーバーオールズ」(腰穿きのオーバーオール)の量産を始めます。当初の商品はロットナンバーを持たず、品質の高さを示す「XX(ダブルエックス)」の刻印で識別されていました。「XX」はExtra Exceed(格別に丈夫)を意味するとされています。

1890年、品番を統制する必要が生まれ、この定番モデルに初めてロットナンバー「501」が付与されました。以来このモデルは「リーバイス 501」として知られるようになります。当時はベルトループがなくサスペンダーボタンとシンチバック(背面の調整ベルト)が付いており、バックポケットも1つだけという、現代とは異なるデザインでした。

大戦モデルと戦後の変容

1940年代、第二次世界大戦が始まると、アメリカ政府は資材の節約を布製品メーカーに求めました。この時期のリーバイス501は、金属パーツのシンチバックが廃止され、フロントの尾錠(アーキュエイトステッチ)が省略されるなど、簡素化されたデザインに変更されます。これが通称「大戦モデル」で、後のヴィンテージ市場で最高値がつくモデルの一つです。

戦後、復員兵たちが西部劇の定番衣装としてジーンズを故郷へ持ち帰ったことで、ジーンズは東部でも普及し始めます。1940〜50年代には西海岸の大学生の間でも流行が広がり、「作業着」から「カジュアルウェア」への転換が始まりました。

スポンサーリンク

ビッグEの時代——反骨のシンボルへ

1953年、マーロン・ブランドが映画「乱暴者(The Wild One)」でジーンズを着てスクリーンに登場します。翌1955年にはジェームズ・ディーンが「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」で着用し、ジーンズは一気に「反骨・反体制・自由」の象徴となりました。

この1950〜60年代のジーンズは、後にヴィンテージ市場で「ビッグE」と呼ばれます。バックポケットの赤タブに刻まれた「LEVI'S」の「E」が大文字(BIG E)であることが特徴で、1971年まで続きました。1971年にリーバイ・ストラウス社が株式を公開した際、赤タブの表記が「LEVI'S」から「LEVI's」(小文字e)に変わったため、それ以前のモデルをまとめてビッグEと呼ぶようになったのです。

同時期のもう一つの指標が革パッチ。1950年代中頃以降は革から紙パッチへ変更されており、革パッチが残るXX時代のモデルはさらに希少とされています。

日本のジーンズ——児島から世界へ

日本にジーンズが本格的に入ってきたのは第二次世界大戦後のことです。進駐軍の兵士が着用していたジーンズに日本の若者が強い憧れを抱き、1950年代には横浜や神戸の「アメ横」的な市場で中古品が取引されるようになりました。

1963年に繊維素材の輸入が解禁されると、国内メーカーがジーンズ生産に本腰を入れ始めます。1965年には倉敷市(岡山県)のマルオ被服が国産ジーンズの量産に乗り出しました。

その発展に決定的な役割を果たしたのが、岡山県倉敷市の児島地区です。江戸時代からの綿織物の伝統と繊維産業の集積を持つ児島では、1973年に倉敷紡績(現クラボウ)が初の本格的な国産デニム生地「KD-8」を完成させ、その翌年、純国産デニムを使ったジーンズが誕生します。

この国産デニムには、伝統的な藍染めの技術が生かされており、着込むほどに縦方向の白い筋(縦落ち)が現れる「芯白(しんぱく)」と呼ばれる独特の経年変化が生じます。糸の中心部まで染め抜かずに芯を白く残して染めることで、この美しい色落ちが生まれます。今日では「ジャパンデニム」として世界中のデニム愛好家に高く評価されており、児島は「国産ジーンズの聖地」として国内外のデニムファンが訪れる観光地にもなっています。

スポンサーリンク

まとめ

ゴールドラッシュの作業着として生まれ、リベット一本でその姿を変え、戦争をくぐり抜け、スクリーンの反骨者が纏い、太平洋を越えて日本でも独自の発展を遂げた——ジーンズの150年は、時代の空気を映す鏡でもありました。今日あなたが穿くジーンズにも、そのすべての歴史が縫い込まれています。デニムの種類や生地・加工の詳細についてはジーンズ・デニムの種類まとめをご覧ください。

一緒に読まれている人気記事

スポンサーリンク

X でフォローしよう!

おすすめの記事